目次
ホトケとマリアと
「お父様の思い出の曲などありましたら葬儀の際に使いますので」
葬儀の打ち合わせの席で葬儀屋がボールペンを片手に事務的にそういった。
・・・思い出の曲・・・?
家族が全員顔を見合わせる。
そんなこと言ったって、音楽になんて造詣の深い父ではなかった。
フォーク世代ではあるので実家の物置には弦のきれたフォークギターが埃をかぶってあるのは知っているけれど
一度もそれを弾く姿を見たこともなく、ましてやその姿を想像することもできず。
普段から音楽を楽しむなんてタイプではなかった。
「・・・カラオケでは月光仮面・・・歌ってましたけど・・・」
酒の好きな父だった。
酔っては、なぜかカラオケでは月光仮面を熱唱しておったけれど・・・
母よ・・・いくらなんでも葬儀に月光仮面はなかろうぞ。
結局、通夜では月光仮面は却下され・・・無難に【荒城の月】が流されたのであった。
「う~~~ん」
通夜の後、もうだれもいない祭壇の前にたち箱の小窓をあけて父の顔をのぞき見る。
化粧を施された遺体は、なんだか普段より血色よくまるで酔って寝ている父のようだ。
その父を見ていたらふと頭に浮かんだメロディが鼻腔から鼻歌で流れ出した。
ふ~~ふふふ~~~んふ・・・
「あ・・・アヴェマリア・・・」
そう。
カッチーニのアヴェマリア。
その昔、私がまだ小学生くらいのころか。
晩酌後、茶の間で酔っていびきをかいていた父の横で母はTVを見ながら茶をすすり、私は宿題のドリルをやっていた。
すると今までガ~~~フ ガ~~フ と往復いびきかいていた父が突然大声で何かを歌いはじめたのだ。
あまりの音痴のため、最初は何か呻いているのかと思ったのだけれど・・・
よく聴くと父は、まことに気持ちよさそうに大声でこう歌っていた。
あ~~~~~べ! まりぃ~~~~~あぁぁぁぁぁ~~~~~~~~♪
あ~~~~~べ! まりぃ~~~~~あぁぁぁぁぁ~~~~~~~~♪
あ~~~~ あ~~~~ あ~~~~~ あ~~~~~~
何事か??驚いたのち、思わず母とふたり顔を見合わせて笑い転げた私たちであったけれど
もちろん月光仮面派の父にクラッシックの趣味はなく・・・
なぜあの時、彼がアヴェマリアを口ずさんだのかは謎のままだ。
目を覚ました父は、アヴェマリアを歌ったことすら覚えていなかったのだから。
あれからずいぶん経って大学生になった私はあるアルバムを購入した。(単に大ヒットしていたからなのだけれど)
SlavaのAve Maria
なんと・・・あの父が酔ってわめいていたカッチーニのアヴェマリアだけでなく
シューベルト、ヴェルディ、サンサーンス、バッハ、ストラヴィンスキーなどなど
10名の誰もが知る超有名作曲家による超有名アヴェマリアが収録された文字通りアヴェマリアだけのアルバムである。
スラヴァ(カガン=パレイ)の透き通るカウンターテナーの歌声とシンセサイザーの電子音が面白い具合にマッチングして、おごそかな世界が展開される一枚だ。
大学に提出するレポートを書きながらよく聴いた1枚であったけれど・・・
やはり中でもカッチーニ作曲のアヴェマリアを聴くたびに父のひどいあの歌声を思い出した。(ごめんねスラヴァ)
ふと四角い箱の小窓から父の顔を見る。
やはり気持ちよさそうに眠っている。
今にもあの割れるような大声のひどいアヴェマリアを披露しそうでどきどきする。
アヴェマリアって・・・あ~~た・・・仏様の御前ですのよ。
ぷぷぷと笑いながら、父を収納した箱からそっと離れた。
線香の煙のせいかちょっとだけ涙が出た。
今回ご紹介のAlbumはこちら
1995年11月22日発売 Slava『ave maria』